マーケティングの基礎

わたしのこと

管理人プロフィール

ドンちゃん
ドンちゃん
ウサギを飼ってます
コジカ
コジカ
シカは飼ってないです

 

名前 :どん子

職業 :ヨガ講師

年齢 :1980年代生まれ

家族 :小学生男子・ウサギ(めっちゃでかい)

趣味 :キャンプ、長距離運転、英語学習

好きなアイドル:でんぱ組.inc

好き :スタバ、蔦屋書店

仕事:産婦人科で運動指導員として10年勤務。
産前産後、赤ちゃん、幼児の運動を発達と脳科学をベースに指導。
フリースクールでの勤務を経て、不登校や発達障害の問題にも取り組む

 

今までの歩み

ドンちゃん
ドンちゃん
今までの人生を振り返ってみよー!
コジカ
コジカ
めっちゃ長いから覚悟してね

中学生 / 誰にも負けたくないアニヲタ

父親が転勤族だったので、
小学校4つ、中学校2つを経験。

中2の時、転校生だった私に初めて話しかけてきてくれた子がたまたまコーラス部だったため、そのままなんとなくコーラス部に入部。

しかしそこはコーラス部と言う名の〈アニオタ部〉だった!!

アニメには全く興味はなかったけど。
漫画はけっこう好きだった私は、当時放送開始し始めた『美少女戦士セーラームーン』にどハマり。
負けず嫌いの私は、アニメも原作も、ミュージカルも声優も全て網羅。
なんなら、同人誌も描き始め、コミケにコスプレにも精を出す。
当時はまだコスプレは市民権を得ているわけではなく、
かーなりコアなオタクの中での密かな楽しみ。
よくわかんないおっさん達の中で、うら若き15,16歳がセーラームーンのコスプレをして自作の同人誌を売る。
今思えば、結構なシチュエーションだけど。
コスプレ黎明期に中学生として現場にいたことは、今では良い話のネタにはなってる。

好きなことを追求して表現することをここで経験
それは後々の人生でも重要なカギとなる

そんなヲタク活動に精を出しつつも、意外と真面目な私。
勉強も精力的に取り組み。
学校では常にトップの成績を収め、
親の期待にまんまと答えて県内トップ公立高校に見事合格する。

と言うか、読解力が異常に高かった私は…
数学はけっこうなギリギリレベルだったけど。
国語をはじめとする、文脈を読む系で点数を稼ぎ。
あとは短期記憶が長けていたため、
とりあえず暗記は得意(1ヶ月後には全部忘れるけどな)で受験を乗り切ると言う、
高校受験にしか使えない手法で、見事に合格を勝ち取ったのでした。

ギリギリ県立トップ校になんとなく合格
良くも悪くもそれが今後の人生に大きな影響を及ぼす

ドンちゃん
ドンちゃん
テスト前日は徹夜で暗記!は基本でした
コジカ
コジカ
でも、勉強は好きだったのね

高校生 / 挫折からやさぐれて音楽へ

そんなこんなで。
確かな実力ではなく、読解力のみで入学した県内トップ校。

 

そこで私は、大きな挫折を経験する。

実は、隠れてめっちゃ勉強して、どーにかこーにか高得点を取っていた私…。
一応けっこう頑張って挑んだ初回の実力テスト。
が!!!

クラスで10位に入ることもできなかった。

さすが東大や京大に毎年何人も行く県内トップ校。
中学時代には見たことのない、天才つーか。
「勉強?そんなにしてないよ?」とか言いつつ。
テストで満点取る、みたいな人が山ほどおる!!

人生初の挫折・・・・。

私は勉強をやめ、逃げるように音楽への道に進み始めた。

たまたま世の中はまだバンドブームが続いていたため、
テレビやラジオではかっこいいバンドが毎日のようにROCKやPUNKを叫んでいた。
思春期のやさぐれ女子高生が、その刺激的な音楽に心奪われることに理由はいらない。
学校にあまり行かなくなり、ひたすら家でギターを弾き、
バイトに明け暮れ、バンドを組み、ライブをする。
そんな高校生活を送る。

ドンちゃん
ドンちゃん
JUDY AND MARYのYUKIちゃんが大好き!
コジカ
コジカ
初めて弾いた曲はLUNA SEAね。時代を感じるわ。

が、根は真面目なので、近所の大学を受験し、なんとか合格。
とりあえず世間の体裁は守り。
本当の目的は、その大学で盛んだったバンドサークルだったけど。
やさぐれ娘がなんとか大学進学を選んだので、親は一安心。

勉強での挫折を経験するも
人生の目標を音楽にシフトチェンジ!

音楽で生きていく!
という気持ちだけは誰にも負けなかった高校時代

 

大学生〜フリーター / バンド!ギター!ミュージシャン!!

大学では、
持ち前の器用さを活かし(?)
そこそこ授業には出て、そこそこ勉強をして、学業はそれなりにキープ。

あとは、ひたすらバンド!ギター!バイト!の日々を送る。

おかげて、大学卒業前にはバンドはそこそこ有名になり。
このまま就職するよりは、ミュージシャンの道もありかも…と思えるくらいの実力となった。
時代は就職氷河期。
在学中に企業に内定をもらうことは至難の技で、このままフリーターや派遣というのも珍しくなかった時代。

アルバイト先で、そのままフリーターとして採用してもらい、
順調にミュージシャン街道を爆進!

そのまま、順調にバンドは実力をつけ、
大手レコード会社やプロモーターからも知られる存在になり。
フリーター2年目。
多くのバンドを抱える老舗の音楽事務所に所属することになり、
流行りのインディーズでCDをリリース。

ドンちゃん
ドンちゃん
とにかくバンドとバイトの毎日!ライブも毎週やってたよ
コジカ
コジカ
意外とあっさりミュージシャンになれちゃうのが怖いわよね

地元で勢いのある若手バンドとして、
大きな会場で有名ミュージシャンの前座を担当したり、全国のライブハウスをドサ回りしての貧乏暮らし。
このまま、メジャーデビュー!!・・・するのか?!

想いが強かったのか、運が良かったのか
人生の目標だったミュージシャンまであと一歩!
までは意外と早かった・・・

 

ミュージシャン / 2度目の挫折

と思ったのも束の間。

メンバーとのいざこざで、バンドが解散。
というか私のわがままでバンドを解散させるという横暴。

よし!新しいバンドで再起を図るぞ!
と決意し、上京したものの。
良きメンバーに会うというのは奇跡だと思い知らされる、現実の厳しさに直面。

そして、挙句の果てには
うまくいかない音楽活動とかけもちだらけのバイト生活で体調を崩し、入院。

ドンちゃん
ドンちゃん
東京で一人の入院は泣けた・・
コジカ
コジカ
病室から見えた隅田川の桜は忘れないわね

もうダメだ…

失意の元、地元に帰ったのは28歳の春。
新しい人生の模索が始まる。

 

リベンジ / バンドマンから建築士へ

「さて…どうしようか。」

地元に戻った私は考えあぐねていた。
高校生からミュージシャンになることしか考えてなかったこの10年。
いざ、ミュージシャンにならないとなると。
何をして生きていったらいいのか。

ミュージシャンじゃなければ、生きている意味がない。
と思っていた自分がこの難局を乗り越えるために思いついたことは…

「よし!めちゃくちゃ難しい資格を取ろう!!」

だった。
今思えば、よくわからない思考回路だけど、
当時の私はなぜかそう思い。

・なんか難しそう
・なんかかっこ良さげ

という、浅はかな理由で
<建築士になること>を決めた。

 

いちおう大人なので。
昼はバイトをして夜に学校に行く、
という夜間の建築専門学校に入学。
夜間部で2年間。

社会人がメインの専門学校はとても楽しく刺激的で。
夜間部の友人達とは今でも交流が続いていて。
大人になってからの本気の学びは素晴らしいと思う良いきっかけになった。

卒業後、
無事に2級建築士の試験に合格し、
晴れて建築士となる。

これまた持ち前の器用さと勉強好きが功を奏して
ストレートで二級建築士試験に合格
全力で取り組むことは昔から変わらない良いところ

が!

そこで、素直に建築士にならないところが、
私の人生おかしいとこで・・・。

 

なぜかヨガ講師になる

実は、建築の夜間学校に通いながら。
昼はヨガ講師のバイトをしていた。

きっかけは、お世話になっている設計事務所がヨガスタジオをリノベーションしたため。

その設計が見たくて、体験レッスンを受けたヨガスタジオで、
そのまま何となく会員になる。

当時の私は、ケーキ屋さんでパティシエのアルバイトをしていたが、
そんな初心者にも関わらず、
出来心で、“ヨガスタジオのインストラクター募集”のチラシを見て、
面接を受けたら、受かってしまった。
まだ、地方ではヨガ講師という人材が足りなかった時代。
ヨガの経験がある、というだけで、講師になれる時代だった。

ドンちゃん
ドンちゃん
ヨガスタジオで面接を受けた20人中、ヨガをやったことあるのは私ひとりだったんだよ
コジカ
コジカ
今じゃ考えられないくらいヨガは浸透してなかったのね

そして、昼はヨガ講師のバイト、夜は建築学校。
という生活を2年続けて。
そのままヨガ講師のバイトは継続したまま、建築士の資格を取得した秋。

さて、この先どっちの仕事をメインにして生きていこうか・・・

迷った私に、アドバイスをくれたのは、
インターンでお世話になっていた設計事務所の社長だった。

「あなたが好きな設計(内装デザイン)は、会社に属さなくてもできるから。
ヨガを仕事としてやりながら、設計は自分のペースでやりなさい。」

そんな社長の一言で、
私はヨガ講師として生きていくことになった。

人生はノープラン
時代はこれからくるヨガブーム直前!
運がいいのか悪いのか
またもや人生は思った方向とは違う道へ・・

ヨガスタジオ運営 / 詐欺からのスタート

アルバイトのヨガインストラクターとして2年、スタジオ勤務にも慣れた頃。
生徒さんから
「今度、ヨガスタジオを作りたいので、店長として働きませんか?」
と声をかけられる。

ヨガインストラクターとして自分のスタジオを持つことがある種のステイタスだった時代。
そんな願ってもないチャンス!断るわけがない。
ひとつ返事でその話を受け、当時働いていたヨガスタジオを速攻辞めて、新店舗の準備に入る。

が、よくよく話を聞いてみると、
そのスタジオは、美容室、飲食店、ヨガスタジオなど、様々なジャンルの店舗が入る複合施設になるとのこと。
そして、場所はおさえているが、改装資金が足りないため、出店者が出資して店舗改装を考えているとのこと。

私はしがないフリーター(しかも勤務していたスタジオを退職したため、なんなら無職)ゆえ、資金に余裕はなく、なけなしの10万円を出資。
他のメンバーは100万円、200万円を出資した者もいた。

が、ここでお気づきの方もいらっしゃるでしょう・・。

全員の出資が集まってしばらく、いつまで経っても店舗の話は進まず。
建築士である私は、無償で店舗設計図を書いたり、内装の資材の調達を任されていたのだが、突然、リーダーである自称投資家のおっさんと連絡が取れなくなる。
皆んなで連絡を取ろうとあの手この手で探すも、見つからない。
しまいには、おっさんの名前や住所も嘘だったことがわかり、みんなの出資金を集めていた通帳も無くなっていた。

そう!この話は、真っ赤なウソで詐欺だったのです!!

だけど、ここで小さな奇跡・・。
貧乏すぎた私は、出資した1週間後、あまりにも生活が極貧すぎて、
おっさんに出資金の返還を求めたのでした。
おっさんはブツブツ文句言ったり、怒ったりしていた気もしたけど。
私はお金が返ってきたことを安堵して覚えていない。

ドンちゃん
ドンちゃん
あの時の私、グッジョブ!
コジカ
コジカ
まさかの貧乏が詐欺被害から身を守ったね

そして、詐欺被害からは逃れたものの。
ヨガスタジオは辞めてしまっていたので、
そのままの流れで、自分のヨガスタジオをオープンすることになる。

個人だし、小さなマンションの一室でいいか。
と思っていたところ。
小さなビルのガレージを見つけ、そこを改装して、スタジオにすることになった。
ここは建築士である自分の特技を活かして、
建築士仲間の力と、セルフリノベーションで無事にスタジオオープン!!

ここでも、器用さとなんとかなる力を発揮!
仲間の優しさに恵まれ
計画通りではないけど、人生は進んでいく

地方都市で、まだヨガが浸透していなかったこともあり、
開業してすぐ、スタジオは大盛況。

体験レッスンを受けた方は、ほぼ入会するという
ヨガ業界バブルもあり、スタジオは順調に売上を伸ばしていきます。

ドンちゃん
ドンちゃん
地方にもヨガブーム到来!
コジカ
コジカ
頑張ってヨガを学んだ甲斐があったね

 

スタジオ閉鎖 / 未婚ひとり親になる

地域に根ざしたヨガスタジオとして、認知度も上がってきた2017 年。
人生最大の転機が訪れる。

 

未婚での出産 !!!

 

 

これを機に、実家の近くに引っ越すことになり
多くの生徒に惜しまれながらスタジオは閉鎖。
5年間のスタジオ経営に幕を下ろすことに。

場所は少し離れたけど、その当時の生徒や関係者とは、今も仲良く付き合いがあり。
ヨガスタジオという場所で、地域や人のコミュニティを作れたことは、
人生の大きな財産となりました。

予定外から始まったスタジオ運営は多くの人に恵まれた5年間
人との繋がりを大切にし
好きなことを人に伝える楽しさを再確認した貴重な時間

 

子育てとヨガの両立

スタジオを手放し、フリーのヨガインストラクターとして働くことになって2年目。

産婦人科や、幼稚園、小学校など。
産前産後や、赤ちゃん、幼児に特化したヨガインストラクターとして
認知度を上げ、イベントや教室開催のお誘いをたくさんいただけるようになったその頃。

コロナがやってきた・・・!!

ヨガスタジオはどこもクローズ。
病院、学校、幼稚園などのクラスも軒並み中止。

世界中のヨガインストラクターは一時、仕事を失うこととなる。

が、コロナ前から初めていたオンラインレッスンが功を奏し、
ヨガクラスだけではなく、
乳幼児の発達相談や、子育て講座でコロナ禍でもオンラインクラスを開講。

その経験から、ヨガクラスだけではなく、
発達やしつけに特化したヨガ講師として、
行政や、教育機関、イベント運営から多くの依頼をいただけるヨガインストラクターとして活動。

なんとか怒涛のコロナ禍を乗り切ったのでした。

ドンちゃん
ドンちゃん
パソコンが好きでオンラインはコロナ前からやっていたんだよ
コジカ
コジカ
オンラインや発達の講座をやっていて良かったね

自立への道 / 結婚と離婚

そんなコロナ禍、プライベートでも大きな変化が。

ひとり親から始まった子供との人生に、パートナーが現れる。
ひとりでの子育てや、10年以上のフリーランスとしての生活に不安を感じていないわけはなく。

子供が6歳になった時、わたしは結婚をする。

家に男性がいること。
経済的に支え合って暮らすことへの安堵感は大きく。

また、子供にとっても、父親という存在があることがありがたく。
私の人生はやっと幸せと安心を手にいれた・・!

と思った矢先。

結婚して数ヶ月・・
夫に借金があることが判明。
それと同時に、夫が手がけていた自営業が立ち行かなくなり。
速攻離婚。

幸せだったと思った人生は一瞬で終わり、
家族も、財産も失い。

私はまた未婚の母に戻った。

ドンちゃん
ドンちゃん
振り出しに戻るどころか、むしろマイナス!!
コジカ
コジカ
資産も無くなっちゃったね・・・
ドンちゃん
ドンちゃん
人生甘くないわー

 

自立への道 / 再起を図る

家もパートナーも、資産も失い。
追い討ちをかけるように、コロナ禍の煽りを受けヨガブームも去ったこの頃。

私は、自宅でオンラインでできる講座、ヨガクラスを始めた。
SNSが好きで、前から利用していたこともあり、
親子でギリギリ食っていけるだけの収入はなんとか稼ぐことができた。

が、これから子供が進学していくにつれ、きっと生活費や教育費は右肩がりだろう。
なんとなくSNSで集客できている現状では、この先やっていけない。

自分のサービスを確実に、必要としている人に届けるには・・・。

ドンちゃん
ドンちゃん
もう誰かに頼るのはキケン!!
コジカ
コジカ
まずは自立!!
ドンちゃん
ドンちゃん
自分の幸せは自分でつくるぞー!

 

私は、こうしてWEBマーケティングを学ぶこととなる。

なんとなくやれている・・では意味がない!!
自立するためには、何が必要か
人生の再起をかけた学びが始まる